人生の限られた時間とどう向き合うか(セネカ『人生の短さについて』)

人間は大体80年くらい生きる生き物だが、これは長く感じるだろうか、短く感じるだろうか。仕事に追われる日々を過ごしていると、過ぎていく時間はあっという間に感じられ、人生は短いという嘆きを耳にすることもある。

しかし、ローマ帝政初期のストア派哲学者セネカによれば、理性的な時間の使い方をすれば人生の時間は長くすることができるという。

多忙な人間がどう時間を過ごしているか

時間というものは、早く過ぎ去っていくものなのに、私たちは時間がまるで尽きることのない資源のように扱ってしまっている。

多くの人が、時間を自分のために使っていない。銭勘定したり、心配事をしたり、人のご機嫌を取ったり、頻繁に飲み会に出かけたり、と(これらのことに時間を使うことが必ずしも悪いとは言えないが)、そういう類のことに多くの時間を費やし、忙しい日々を送っている。

忙しさに身を任せた時間の過ごし方は「生きている」とは言えない。「忙しい」は「心を失う」と書くが、それは自分の時間がたくさんの仕事や用事に占領され、自分の心が弾き出されている状態だ。

「われらが生きているのは、人生のごくわずかの部分なり」と。なるほど、残りの部分はすべて、生きているとはいえず、たんに時が過ぎているだけだ。

セネカ『人生の短さについて』

自分が死すべき存在だということを忘れ、五十や六十という歳になるまで賢明な計画を先延ばしにし、わずかな人たちしか達することのない年齢になってから人生を始めようとするとは、どこまで愚かなのか。

セネカ『人生の短さについて』

生きることは生涯かけて学ばなければいけないもので、過去の偉人でさえ生きる真の意味を見出していない。多忙な人間が、生きることを知れるはずがない。

人生を長くする時間の使い方とは

では、どのように時間と向き合えばいいかというと、それは「未来に頼ることをせず、過去と向き合って、現在という時間に集中して生きる」ことである。

未来は運命の支配下にあって不確かなもので、自分の思い通りにならない。私たちは未来へ期待するが、未来のことばかりに目を向けていると、今という時間が蔑ろになってしまう。

生きるうえでの最大の障害は期待である。期待は明日にすがりつき、今日を滅ぼすからだ。あなたは、運命の手の中にあるものを計画し、自分の手の中にあるものを取り逃がしてしまう。

セネカ『人生の短さについて』

それに対して、過去という時間は、既に起こったことで確かなものである。また、昔生きていた偉人の教えもある。過去を振り返る時間を設けることで、今という現在をより良く生きれるようになる。

われわれが過ごしている現在は短く、過ごすであろう未来は不確かであり、過ごしてきた過去は確かである。過去が確かであるのは、そこには運命の力が及ばず、だれの自由にもできないからだ。

セネカ『人生の短さについて』

閑暇をどう過ごすべきか

「閑暇」と「暇」は区別されるべきである。私たちは暇な時間ができると、一時的な楽しみに時間を使ってしまうが(「暇つぶし」から思い起こすような過ごし方である)、セネカは、真の閑暇は「過去の哲人に学び、英知を求める生活の中にある」と述べている。

過去の偉人が残した教えは、私たちが生きるためのお手本である。また、過去から学ぶことは、人間の弱点である視野の狭さを克服することにもつながる。

自然は、われわれに、すべての時代と交流することを許してくれる。ならば、われわれは、この短く儚い時間のうつろいから離れよう。そして、全霊をかたむけて、過去という時間に向き合うのだ。過去は無限で永遠であり、われわれよりも優れた人たちと過ごすことのできる時間なのだから。

セネカ『人生の短さについて』