人は誰かのことを忘れていく時、まずその人の声が思い出せなくなる。声、見た目や表情、触れ合った感覚、そして匂い。人の記憶は、聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚の順に失われていく。
匂いが最後に残る理由は、他の感覚と違って嗅覚は、人の記憶と感情を司る扁桃体と海馬に直接繋がっているからだ。匂いは記憶と強く結び付いている。
昔の人は、橘の花の香りを、昔親しかった人を思い出させるものとして歌に残してきた。代表的な歌は古今和歌集に収められている次の歌だろう。
五月(さつき)待つ花橘(はなたちばな)の香(か)をかげば 昔の人の袖の香ぞする (五月を待って咲く橘の花の香りを嗅ぐと、昔親しくしていた人が袖に薫きしめていたお香の香りがして懐かしいことだ)
この和歌は伊勢物語の第六十段『花橘』にも出てくる。
宮仕えが忙しく、妻のことをあまりかまってやれなかった男の妻が、他の男についてよその国に行ってしまった。やがて元夫が勅使として出かけたところ、この元妻は自分を接待する役人の妻となっていることが分かった。元夫はかつての妻に接待を受けている時に、酒の肴として出されていた橘を手に取って、この歌を詠んだ。
この元妻は、この歌を聞いて元夫の心持ちを知り自分を恥じたのか、その後尼となって山に篭って暮らしたそうだ。
この和歌の与えた影響が大きかったのか、その後「花橘」という言葉が「昔の恋人を偲ぶ」という隠語の役割を果たすようにもなったらしい。
源氏物語の第十一帖では、五月雨の晴れ間に、桐壺帝の後宮に仕えた麗景殿の女御の妹であり、源氏の昔の恋人である花散里を訪ねようと源氏は思い立つ。
麗景殿に着くと、そこは人気がなく、静かな佇まいだった。源氏は麗景殿の女御と昔話などを語り合っているうちに夜が更けた。
橘の香をなつかしみほととぎす 花散る里をたづねてぞとふ (橘の香りを懐かしんで、ほととぎすが橘の花の散る里を訪ねてきました)
旧暦の五月は現代では六月頃で、五月雨はすなわち梅雨のことを指す。連日の雨続きで空気は湿気を帯びていただろう。こもった橘の甘い花の香りが辺りに広がっていたに違いない。
その後、源氏は妹の花散里の元を訪れるのだが、二人の会話は記されておらず、歌のやりとりもない。二十日月の下で、久しぶりに再開した二人はその夜何を語ったのだろう。