ひんやりとした秋の港風が頬に滲みる。
スウェーデンの南に位置するマルメ(Malmö)での課外研修が終わった後、慣れない夜行バスに乗り、ストックホルムへと向かった。
深い闇の中を進む。国土の大半が森に囲まれたこの国では、市街地を離れると、ぽつりぽつりと佇む住宅の他に灯りがほとんど見当たらない。
途中、こもったスウェーデン語のアナウンスが流れ、バスが何度か停車した。寝静まった車内で、むくりと起き上がった人々がまばらに降りていく足音を聞いて、今はトイレ休憩なのだと察した。
束の間の停車の後、再びバスが動き出した。軽く結露した窓に寄りかかり、今のうちに少しでも眠っておこうと目を瞑る。エンジンの規則的な振動がこめかみに伝ってくる。
うつらうつらとしていると、不意にその振動が乱れた。目を開け窓の外に目をやると、等間隔に並ぶ赤い光と建物の影が暗闇の中に見える。
どうやら市街地に着いたようだ。時刻を確認してみると六時前である。辺りはまだ夜に等しい。
二十四時間営業のファストフード店でホットコーヒーを頼んだ。少し下調べをし悴んだ手が再び血色を取り戻した頃、早朝の散策へと出かけた。
薄明かりに包まれた街は依然静寂に包まれており、吐く息はほんのり白色を帯びている。
十月にも関わらず頬を刺す冷気は鋭く、思わずマフラーに口を埋める。路上に散らばった残飯をつつく鳩を見て、この街の浮浪者たちは一体どのように冬を越すのだろう、とふと疑問に思う。
「水の都」とも称されるストックホルムは、十四の島からなる街であり、バルト海に掛かる五十を超える橋がその島々を結んでいる。
港には水上バスが停泊しており、島の淵に沿って歩いていると、対岸では石造りの街並みが朝日に照らされている。島を自由に行き来する海鳥たちが一日の訪れを告げ、まばらではあるが、街を歩く人の姿も増えてきた。
広場の時計を見るといい頃合いのようだ。地下道へ降り、人々の流れに逆らいながら駅のホームへと向かった。
緑色の路線図を辿り、十五分ほど電車に揺られ目的の駅に着いた。
改札を出ると、駅前に止まる移動販売のワゴン車はまだオープン前と見える。空に雲がかかり始めており、住宅街の霞んだ銀杏並木の中を歩み始めた。
まもなく「森の墓地」こと、スコーグスシュルコゴーデン(Skogskyrkogården)の案内が見え、その入り口への門は、訪れた異教徒をも分け隔てなく迎え入れるように、一方では、ある厳粛さを纏いながら、静かにそこに佇んでいた。
門の内へ足を踏み入れて進むと、見渡す限りの広大な芝生の水平線が視界を占め、その一角で大きな十字架の像が立っている。
市街から少し離れた地にあるこの共同墓地は、1914 年から 1915 年にかけて、ストックホルムの新しい墓地様式の確立を目指して行われたコンペティションの過程で生まれた。スウェーデンでは初めての火葬を前提として設計された葬祭場と墓地である。
グンナール・アスプルンド(Gunnar Asplund)とシーグルド・レヴェレンツ(Sigurd Lewerentz)の二人の若き建築家が、この墓地の設計者として抜擢された。墓地が建てられる以前の敷地は松の木が生い茂っていた採石場だったが、二十五年という長い月日をかけて徐々に今の姿へと近づいていった。
広場をまっすぐ奥へ進み、そびえ立つ大きな花崗岩の像を前にする。アスプルンドによってデザインされたこの荘厳な十字架は、殺風景な平原の中で彷徨う旅人が真っ先に見つける目印である。
頭上を見上げるとそこでは、立ちはだかる自然に対峙した時の、為す術なくただ茫然と立ち尽くすしかない無力感に似た感覚に陥る。
自然の万物に流れるエネルギーとともに、原子が自身の原則に従って規則的な運動を繰り返し、土地が隆起し雨が降り、やがて草木が芽吹く。
それは一神教が世界を支配する以前の、我々の神々との対話である。
十字架の奥に見える、あの深緑の影の中で人々は今も静かに眠る。
森の中に足を踏み入れてみると、針葉樹林の木々の間に無数の墓石が見え、雲に覆われた空から差す陽の光は、地表に届く前にその静寂の中に紛れてしまい、霧のような冷たさを伴った空気が辺りを漂う。
表面が磨かれたばかりの石の上には、数日前に置かれていったのであろう花々の蕾が今開かんとしている。
日本では、墓参りで切り花を供えるのが一般的だが、ここでは墓石に彫られた故人の名前の横で、草花が植えられている光景もよく見受けられる。何十年も前に亡くなった人の苔むした墓の側には、それなりに大きな木や花が育ち、その人の命がまるでそこに宿っているようだ。
広い森の中を歩いていると、道はさらに奥へと続く。一体どれだけの人がここに眠っているのだろう、と考えながら歩いている最中にも、舗道の両脇には石が点在し、花を手向け、祈りを捧げる人の影が遠くに見えた。
奥からランニングウェアを着た女性がこちらへ向かってきて、そのまま私の横を通り過ぎて行った。
やっと森の終わりに行き着き、銀杏の木の下にベンチを見つけたので少し休むことにした。銀杏の落ち葉が辺りを覆っている光景はいつ見ても綺麗だと思う反面、墓石に囲まれて自分が休んでいる様子は少しシュールに思え、まだ違和感を感じる。
そろそろ戻ろうとベンチから立ち上がり、来た道を引き返した。
十五分ほど歩き再び広場が見えてくると、丘の上ではしゃぐ子供の笑い声が響いている。時刻は正午に近く、敷地内を散歩する老夫婦の姿なども見受けられる。
この地にいると、墓地に眠る死者と今を生きる私達生者の区切りがとても曖昧なものに思える。
太古から続く時間軸の延長上で、離別の悲しみはやがて刺を落としてゆき、その記憶と共に、自身も同じ地へと時を歩んでいく。
それは、生死の枠組みを超えて、私たちをより大きく包み込む宇宙の原則のようなものであり、少しだけその何かに触れたような気もした。