朝目が覚め、少しの間布団の中で微睡んだ後、ベッドから出て部屋の窓を開ける。簡単なストレッチ、水分補給。着替えた後は、朝日を浴びるために近所の河川敷を少し歩く。
このようにして私の平日の一日は始まる。起床し身支度し仕事に行く、子供がいればお弁当作りや送迎といったこともその過程に加わるだろう。日常のルーティンは意識せずとも誰しもが持っているものだ。
新しい環境での生活も、数週間、数ヶ月と月日が経っていくうちに、段々と自分の中の一日の流れというものが出来上がってきて、目新しさに溢れていた非日常の連続が、いつしかいつもの日常となっていく。決まっている行為の連なりをある一定のリズムで繰り返す時、その繰り返しにはどこか心地よさがあり、安心を感じる。そして、その日常は時には退屈をももたらす。
それでも日常のルーティンから私たちが逃れられない理由は、逐一「何をするか」という選択肢を考えるためにエネルギーを浪費してしまわないため、という本能的なものが挙げられるだろうが、もっと精神的な視点で考えてみれば、変わらないリズムの中では、その中の小さな乱れや些細な変化を見出しやすい、というものがあるかもしれない。
映画『PERFECT DAYS (2023)』の中で役所広司が演じる主人公の平山は、都内の公共トイレの清掃員として働いている。古い木造アパートに住み、毎朝夜明けと共に目が覚め、歯を磨き、植物に水をやり、自販機で一本の缶コーヒーを買って仕事に行く。仕事の後は銭湯で汗を流し、浅草の地下街の酒場で軽く晩酌し、家に帰った後は読書をして床に就く。
一見決まりきった日々を繰り返す平山の日常だが、平山が見ている世界は、過ぎ去っていく日常の一日一日をどうすれば大切に生きていけるのか、というヒントを私たちに与えてくれる。
朝車のエンジンをかけ、缶コーヒーを啜り、その日の気分に合わせてカセットテープを選び音楽を流す。出勤途中に見えるスカイツリーと、首都高の先に広がる朝日。お昼に神社の境内でサンドイッチを頬張りながら、空を見上げると木々の葉が風にそよいでいる。
冬の朝の河川敷を歩いていると、太陽の光がぽかぽかと心地よく、野鳥がのんびりと水辺に浮いている様子を見ると、とても穏やかな気持ちになる。犬の散歩、朝のランニング、通勤通学途中のサラリーマンや学生、色々な人とすれ違い、同じ時間の同じ街を歩いていても、毎日街の表情は異なっている。
最近は献立を考える煩わしさから、毎日決まって鍋と蒸し野菜を食べている。スーパーを訪れると季節によって棚に並ぶ野菜が変わり、そして同じ南瓜でも、スーパーAの南瓜の方がスーパーBのものよりホクホクしていて、蒸した時に美味しいと感じたりする。
変わらない日常に隠れる、そんな刹那的な瞬間を私たちは愛おしいと思うのではないか。
私たちの日常は、機械のような単調で規則的な繰り返しとは違って、一定のリズムと不規則な変化を伴っている。それが自然の持つリズムであり、私たちはそんな新しい一日のリズムの中で今日も生まれ変わっていく。