消印の向こう側

January 18, 2025

昨年末に東京を訪れた際に、蔵前の『封灯』という喫茶店で未来の自分へ手紙を書いた。その時に書いた手紙は一年後になったら、自分の元へ届く予定だ。

一枚の紙を前にしながら、じっくりと自分自身と向き合えた時間だった。そして、この時代に敢えて紙とペンで文字を綴ることの豊かさを感じた。

お正月に帰省していた幼馴染と会った時に、文通をしたいけれどその相手がいないということをこぼしたら、手紙送って良いよ、と言ってくれた。彼女に手紙を書いたのは、小学生の時以来だと思う。小中学生の頃は携帯電話を持っていなかったから、手紙や交換日記といったアナログな遊びをよくしていた。

手紙の場合、物理的に隔てられた距離と時間が余白となり、自分の心により素直になって言葉を綴ることができるような気がする。

投函した手紙がいつ相手の元へ届くのか分からないし、相手から返事が来るのかも分からない。そして、相手の返事を待っている間に、自分がその時何を書いたかをそのうち忘れてしまい、手紙そのものの存在も朧げになる。

子供の頃にピアノを習っていた。住宅街の中に佇む個人経営の小さなピアノ教室で、一週間に一度三十分のレッスンを受けていた。一年に一回発表会があり、発表会の数ヶ月前になるとそのための練習が始まる。個人の演奏と、連弾の演奏とそれぞれ一曲ずつ発表するのだが、ある年の発表会で同じ教室に通う女の子と連弾することになった。その女の子は同じ学年だけれど違う学校に通っていた。

私もMちゃんもとても人見知りで、初めて連弾のレッスンで顔を合わせてから何週間か経った後もお互い自己紹介もできずに、レッスンでは気まずい沈黙が流れていた。しかし、心のどこかではMちゃんと仲良くなりたいと思っていて、ある日のレッスンの帰りに、Mちゃんの靴の中に手紙を入れて教室を後にした。簡単な自己紹介や学校のことなど、他愛のない話題を綴った内容だったと思う。

翌週、いつもと変わらず、私たちは言葉を交わすことなく連弾のレッスンを終えたが、帰り際に玄関で靴を履こうとすると、そこに一通の手紙が入っていた。Mちゃんからだった。そこから私たちは密かに手紙をやりとりするようになった。

相変わらずレッスンでは会話をすることはなかったが、私の個人レッスンの終わりにMちゃんが教室に入ってきて目が合うと、お互いに少し微笑んで、静かに連弾のレッスンが始まるのだった。

Mちゃんと私はとても似ていて、彼女も絵を描くことが好きだったり、自分のホームページを持っていた。私も当時、学校の友達には内緒でブログをやっていて、親近感が湧いた。違う学校だからか、自分が周りにどう見られているかということを気にする必要がなくて、手紙の中では好きなことを自由に話すことができた。

高校に入ると同時に私もMちゃんもそのピアノ教室を辞めてしまって、手紙のやりとりは終わった。今は彼女がどこで何をしているのかも分からない。けれど、時々彼女のことを思い出して、元気にしていれば良いなと思う。

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