調香師の言葉

January 14, 2023

百貨店などで香水を見ていて、結構答えるのに困るのが「どのような香りが好きですか?」という質問。香水を見ているのだから、そう尋ねられるのは当たり前だが、好きな香りをうまく言い当てる言葉が見つからない。

私の普段使っている香水から、この質問に答えてみるならば、チューベローズ(月下香)やマグノリアのような花の香りに、レザーやスパイスの香りが少し混ざった匂い、と答えるべきか。そう言ってみたものの、チューベローズやマグノリアの生花の匂いをちゃんと嗅いだことがなく、あくまで香水に名付けられた名前から私が想像している香りだ。そして、こう伝えてみたところで、この香りを想像できる人が十人中何人いるだろうか。

赤、青、黄色と、自分がイメージしている色を人に伝えるのは容易だ。日本の伝統色は本当に豊かで、ピンク一つ例をとってみても、珊瑚色、紅梅色、桃色、淡紅藤など、たくさんの色の名前が存在する。また、私は仕事でWEB開発に携わっているが、WEBの世界ではカラーコードというものもある。白は#ffffff、黒は#000000、先述した日本の伝統色も、珊瑚色は#f5b1aa、紅梅色は#f2a0a1というように、英数字を組み合わせたこのカラーコードを使えば、あらゆる色を言い表すことができる。

それに比べて、香りの表現とはなんて曖昧なものだろう。香りを表すには、香りを構成する化学成分や、食べ物や花の例えを用いることが多く、その香りを知っているかがまず問われる。食べ物の香りは身近だから、どんな香りか想像しやすいかもしれない。だが、それ以外の香りはどうだろう。精油を例にとってみると、ハーブ系に分類される香りは、クラリセージ、スペアミント、ペパーミント、マージョラムスイート、ローズマリー、メリッサ。樹木系に分類されるサイプレス、シダーウッドバージニア、シダーウッドアトラス、ジュニパーベリー、パイン、檜、杉。ミントや檜といった匂いは何となく分かる。でも、それ以外は嗅いでみないと分からないという香りも多いのではないだろうか。私たちは意外と身近なものの香りを知らないで生きている。

そして、香りは記憶に依存する部分が多い。色の場合、インターネットが普及したおかげで、色の名前が分からなくても検索すればその色を見ることができるようになった。色の名前と、実際にどんな色をしているのかの答え合わせができる。一方で、香りは実際に嗅いでみないと分からないが、香りのサンプルがすぐ手に入らない場合もあるし、香りをずっと保管することも難しい。普段私たちが香りについて話す時、その香りが指すものは、完全に記憶やイメージによって作られている。

とはいうものの、香りの世界にも香りを表す表現はある。香水の世界では、香調を表す ノート(note) という言葉が使われる。元々は音楽用語で、①楽器の音(sound, tone)、②楽器や音符(key)、③古語とか詩の調べ、曲調、旋律、歌(strain, melody, song)を表す単語だ。香水に少し詳しい人なら、このノートという言葉を使えば、香りの組み合わせがどんなイメージになるか、理解できるのではないだろうか。

具体的にどんなノートがあるのか表にまとめてみた。(参考:COLORIA MAGAZINE

ノートの種類 香りの特徴 代表的な香料
フローラルノート 女性らしい、優しい、上品、華やか ローズ、ジャスミン、ラベンダー
フルーティーノート 瑞々しい、可愛らしい、ジューシー アップル、ペア(梨)、ピーチ、マンゴー、など
ウッディノート 落ち着いた、知的な ジュニパーベリー、パチュリ、ベチバー、サンダルウッド、シダーウッド、など
シトラスノート フレッシュ、若々しい、目がさめるような グレープフルーツ、オレンジ、ベルガモット、ライム、マンダリン、ゆず、など
グリーンノート 瑞々しい、青々しい バイオレットリーフ、ガルバナム、など
スパイシーノート 異国情緒を感じる、辛みがある ブラックペッパー、ナツメグ、カルダモン、ピンクペッパー、クローブ、など
オリエンタルノート 異国情緒を感じる、エキゾチックな カルダモン、アンバー、ベンゾイン、ウード(沈香)、ベチバー、ムスク、など
マリンノート 海や水をイメージさせる、水のような透明感がある、爽やかな自然を感じる カロン、など
フゼアノート 力強い、包容力のある、男性らしい クマリン、オークモス、ラベンダー
レザーノート 渋みのある、落ち着いた、革製品のような
ハーバルノート 植物のナチュラルさを感じる、すっきりとした
アロマティックノート 植物のナチュラルさを感じる、穏やかな、ハーバルノートと似ている ラベンダー、コリアンダー、 フェンネル、ローズマリー、タイム、など
グルマンノート お菓子のように甘い、とろけるような、可愛らしい バニラ、トンカビーン、コーヒー、など
アニマルノート 野生っぽさを感じる、力強い ムスク、アンバー、カストリウム、シベット、など
バルサムノート 重厚感のある、包容力のある ベンゾイン、トンカビーン、など
アンバーノート 上品な色気を感じる、穏やかな、深みのある アンバーグリス、システ(ラブダナム)
シプレノート 包容力のある、大地を感じる ベルガモット、パチュリ、ジャスミン、オークモス、など
パウダリーノート フェミニンな、優しい アイリス(あやめ)、カモミール、ヘリオトロープ
ムスキーノート あたたかい、優しい、ほっこりとした ジャコウジカ分泌物、アンブレットシード、など

調香師になるには、まずこのノートに使われる香料をはじめとした、身近なものの香りを覚えることから始める。最近読んだ本の中で、香り創りが英語学習のプロセスに例えられていて、なるほどこれはうまく言い表しているなぁと思った。

1000種類の原料の匂い(数は多いがこれがアルファベットに当たる)を覚え、原料を組み合わせて、ある匂いの形にする(スペリング)。さらには創りたい香りを3つのノートに分け、アルファベットを置いて香りの骨格を組み立てる(文章を書く)。これまでに創られた有名香水を再現することで学びを深める(名作を読み、真似る)。こんな要素が浮かび上がってくる。そしてここまでは語学学校同様、香料学校で教えてくれる。しかし、美しい文章にする、人が読んでくれる文章にする、詩的にする、という段階になると、もう自分で創作しなければならない。(ヤマケイ新書 香料商が語る東西香り秘話

人々が香水に惹きつけられる理由は、その香りが私たちにさまざまなストーリーを想像させるからだ。化学成分を掛け合わせてできた計算式で、その香りを語れば良いというわけにはいかない。

資生堂で調香師として研究に携わってきた中村祥二さんの著書『調香師の手帖 香りの世界をさぐる (朝日文庫)』の中で、香水のイメージをどう言い表すかを考えさせる面白いエピソードが出てくる。

中村さんが設計を担当した「プレサージュ」という名前の香水のイメージテストを行った時の話である。テストが終わった後、お茶を片付けに来た女性がこう筆者に言ったのだそうだ。

「この部屋に、いままで、和服を着た、品の良い、綺麗な女の人がいたような感じがするのですけど。どなたかいらしたんですか。」

この「和服を着た」という形容詞は、中村さんが香水を設計する際に香水のイメージする女性の要素として挙げていたものだった。

その香りを構成する化学成分は知り尽くしているのに、化学用語では語れないこのような感情がどこから来るのか。香料とは不思議なものである。

このことについて、中村さんは上のように述べている。

東京に行くと私がつい訪れてしまうのが、香水の専門店であるNOSE SHOPである。実のところ、私が香水に興味を持ち始めたのはここ最近のことで、香水の世界へ足を踏み入れるきっかけとなったのが、このNOSE SHOPである。

世界中から新進気鋭のフレグランスブランドが集められていて、棚いっぱいに並んだ香水瓶を見てるだけでも楽しいが、NOSE SHOPで取り扱う香水には、香水の隣に香りの説明がされた紙が添えられている。この説明文が詩のような響きを持っていて、これらの文章に目を通しながら香りを嗅いでみると、小説の世界に入り込んだような気分になってしまう。

昨年の冬に東京を訪れた際に、銀座の松坂屋に入っているNOSE SHOPで出会った香水が今の一番のお気に入りである。この香水に添えられていた詩を、最後にここに付け加えたい。

暑い夏の日々が終わり、空気に秋の気配がまじりはじめる、穏やかな小春日和。それは白とベージュの色合いで表現された、現代的な官能性への純粋なオマージュ。素材が次々と輪になって踊る。(クレームドゥキュイール

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