昨年の九月に大学時代に留学していたデンマークを訪れた。デンマークで過ごした一年は、私にとって大きな転換点だった。様々な出会いを通して、それまでの価値観が大きく変わり、この一年で得た学びは今の自分の生き方に少なからず影響を与えている。
ここ数年で周りの環境が大きく変化し、これまでの自分の生き方を見つめ直す時間が増えた。そんな中でふと、大人になった自分があの街を訪れたら今はどう感じるだろうかと思い、もう一度コペンハーゲンを訪ねてみることにした。
八年前の夏の終わり、当時付き合っていた恋人と空港で別れ、片道航空券を握りしめて初めて欧州行きの飛行機に乗った。それまで一人で海外に行ったこともなかった。東南アジアで乗り継ぎ、コペンハーゲン行きの飛行機に乗ると、周りは顔も体格も自分とは異なる人ばかりだった。飛行機が離陸し、しばらくして窓の外を眺めると、晴天の下で水平線上に雲がずっと広がっていた。これから始まる新しい地での生活に、期待と不安の入り混じった思いを感じた。
カストルップ国際空港に着くと、見慣れた空港のロビーが目に入ったが、思っていたほどの大きな感動はなかった。ホテルに荷物を預け早速街に出てみると、学生の頃によく見ていた景色が広がり、デンマークに来たという実感がじんわりと伴ってきた。
デンマークではアマー(Amager)という郊外の地域にあるホテルに滞在した。閑静な住宅街の中に佇む小さなホテルで、部屋にはベッドとテーブル、そしてコンパクトなキッチンが備え付けられていた。生活に必要なものは最低限揃っていて、目立った装飾はなく、とても簡素な作りの部屋だった。ホテルから少し歩くと周りに海が見渡せた。
滞在中はあまり観光らしい観光はせず、記憶を頼りにふらふらと街を歩いてみたり、スケッチをしたりして過ごした。デンマークのDRというラジオの公共放送局を毎日聞いているうちに、ヨーロッパでの最近の流行りの曲が分かってきた。食事は、近くのスーパーで適当に食材を買って、簡単な料理を作ってホテルの部屋で食べることが多かった。当時写真つながりで仲良くしていた友人を訪ねるつもりで連絡してみたが、母親の看病でノルウェーに帰っているようで、会うことはできなかった。
大きな変化のない、穏やかな日々が過ぎていったが、等身大のこの暮らしが心地良かった。日本での忙しない日常を離れて、この八年の間に、自分の心の余白が無意識のうちに侵食されていたことに気づいた。
週の半ばに一泊二日でフィンランドのヘルシンキを訪れた。同じ北欧圏でも言葉のルーツが異なるフィンランド語は、音と音の間の抑揚が少なく、不思議な響きを持っていた。青々とした葉の茂る街路樹が連なる街の中で、トラムとすれ違い、港からフェリーに乗れば近くの小さな島に行くこともできた。ヘルシンキで過ごした二日間は、なんだか映画の主人公になったような、日常とはかけ離れた夢のような時間だった。
しかし翌日の夜、デンマークに戻ってきて飛行機を降りた瞬間、どっと疲れを感じた。そこで初めて、ヘルシンキで知らず知らずのうちに気持ちが昂っていて、自分の心に大分無理をかけていたことに気づいた。
そして、空港のロビーに出ると、言葉の意味はわからないのに、周りから聞こえてくるデンマーク語の響きに包まれて、なぜかほっとした。ホテルまでの帰路、メトロの車窓の外には、ほとんど明かりの灯っていない郊外の住宅街の景色が広がっていた。久しぶりに自分の家に帰ってきたような、そんな懐かしい気持ちになった。