御厩橋の歩道の上を満開の白いツツジが一直線状に伸びている。中津川のせせらぎを聞きながら歩き、橋を渡り終わると左手に南昌荘の案内板が見えてきた。
盛岡へ来たのは大人になってから初めてだ。調べてみたところ市内には明治時代に建てられた古い建築がいくつか残っているので、今日はそれらを見て回りたいと思っている。
若葉の庭園を眺めながら
北上川沿いのテラスで昼食を済ませた後、まず訪れたのが南昌荘。明治時代の邸宅で、盛岡出身の実業家頼川安五郎によって明治8年(1875年)頃に建てられた。石造りの門を通ると、木陰の下を石畳みの道が玄関へと続く。玄関の入り口には「南昌荘」と書かれた板がかけられている。
玄関を上がって右手の階段を昇ると南昌の間という板張りの床の間がある。建物の中心に位置するこの部屋の広さは三十畳にも渡る。建物を囲むようにL字形にガラス障子が並び、庭園の中心が見渡せるようになっている。
庭園は、南昌の間のある建物から外に向かって緩やかに傾斜した地形を生かした造りになっており、建物の中から着座した状態でも庭園が広く見渡せるようになっている。池の周りには園路が巡らされており、歩きながら四季の草花を楽しむことができる。
再び建物に戻り、受付の際に喫茶もやっているとのことだったので、休憩がてら抹茶をいただくことにした。
席はどこでも良いとのことだったので、松鶴の間の庭園が見える縁側沿いの椅子に腰をかけ、しばらくするとスタッフの方が温かい抹茶とお菓子を運んできてくれた。この日の和菓子は栗羊羹だった。
ガラス障子の外で瑞々しい若葉が風に揺れている。水曜日の午後、羊羹の中に隠れた栗を楊枝でつつき、静かな庭園を眺めながら一人お茶をいただく。贅沢なひと時だ。
煉瓦造の銀行建築が残る街並み
南昌荘を後にし、盛岡城跡のある市内中心の方へ歩き進める。続いて向かったのは岩手銀行赤煉瓦館と旧九十銀行であるもりおか啄木・賢治青春館の二つ。
岩手銀行赤煉瓦館
東京駅の設計者としても知られる辰野金吾とその教え子である葛西萬司によって設計された岩手銀行。辰野金吾の建築としては、東北地方に唯一現存する建物である。建物に入ると修学旅行か遠足で来ていると思われる学生たちが先に受付で案内されていた。
建物内部では営業室を改装した多目的ホールや、盛岡の産業・商業の歴史を紹介するライブラリー・ラウンジが設けられている。
まず2階まで吹き抜けになっている広々としたホールが目に入り、アールデコを思わせる柵やブラケットの装飾が東京駅の建築を思い起こさせる。(ちなみに東京駅のブラケットは月の満ち欠けになっていて、辰野のこういう遊び心のある装飾が好き。岩手銀行では、扉の上に位置するアーチ型の木板に彫られた孔雀の装飾が今回の収穫。)
階段を昇って二階へ来ると、一階が見渡せるようになっている。窓から差し込む自然光が建物内部を包みとても開放的な空間である。
ライブラリー・ラウンジでは、大きな窓から入る光が格子窓の影を床に映し出し、建築の美しさを一層引き立てている。大理石でできた壁が白壁や木目と調和し、銀行建築の品の良さが伺える。
もりおか啄木・賢治青春館(旧九十銀行)
黄色い石造りの建物が印象的な旧九十銀行。この銀行は明治11年(1878)に、地元資本による盛岡初の銀行として設立された。現在は、石川啄木と宮沢賢治を取り上げた資料館と喫茶店が併設されている。
建物内部は岩手銀行ほどの見応えはなかったが、天井一面に大きく装飾された九十銀行のマークやレトロな花柄のタイルを使った暖炉などが美しかった。
内部よりも外観の造りが好き。釉薬を掛けて艶やかに焼き上げられた黄褐色の化粧煉瓦に、アーチに使われた重厚な盛岡産花崗岩。アシンメトリーに配された窓や扉がどこか斬新で、大正という新しい時代の訪れを感じさせる。
盛岡の市内には今回取り上げた古い邸宅や銀行建築、他にも昔の蔵を改装したお店など、古い建物と新しい文化、そして中津川を挟んで豊かな自然が調和し、街全体が美しい景観をなしていた。久しぶりの盛岡滞在で、充実した散策ができた一日だった。